【中学受験(歴史)】江戸の三大改革&田沼の政治の語呂合わせ(改革内容つき)
今回は江戸の三大改革と田沼の政治の語呂合わせについて紹介します。
改革名と人物だけでなく、それぞれの改革の内容まで網羅しました。
中学受験における江戸の三大改革と田沼の政治に関しては、この記事で全ておさえられます。
江戸の三大改革&田沼の政治の「年号」の語呂合わせ
まずは、江戸の三大改革の確認です。
改革名 | 人 物 |
享保の改革 | 徳川吉宗 |
寛政の改革 | 松平定信 |
天保の改革 | 水野忠邦 |
ポイント
後、読みは「きょうほう」と「てんぽう」と「う」がつきます。
おすすめしない語呂合わせ
まずは、こちらの語呂合わせ。
➊徳川吉宗:享保の改革、➋松平定信:寛政の改革、❸水野忠邦:天保の改革
(余興を待つ間 見て)
私が適当に作ったものですが、このように3つの改革名と人物だけの語呂合わせはあまりおすすめしません。
なぜなら、年号が不明かつ田沼の政治がどこに入るのかが分からないからです。
入試では、江戸の三大改革とくれば必ず田沼の政治もセットで出題されます。
おすすめの語呂合わせ
そのため、きちんと年表に沿って「いつ誰が何をした」という正攻法で覚えることをおすすめします。
緑が年号、赤が重要語句、青がゴロ合わせだよ。
1716 | 徳川吉宗(8代将軍)が、享保の改革を始める | 美男ヒーロー 良し今日も |
1772 | 田沼意次が、老中になる ※負い=老い、わいろが横行「田や沼や~」の歌が有名 | 非難名に負い 田や沼に |
1787 | 松平定信(老中)が、寛政の改革を始める | 非難はなはだ 未完成 |
1841 | 水野忠邦(老中)が、天保の改革を始める | いやよいテンポ 水の音 |
年号と人物と改革名をセットで覚えられるようにしています。
これで、田沼の政治は、三大改革の間に入っているのが分かりますね。
歴史年表にして覚えた方が、時系列順かつ体系的に理解できます。
語呂合わせは覚えるというよりも、年表を確認する時に何度か口ずさんでいけば自然と記憶に残っていきますので1回で覚えなくても大丈夫です。
「いつだれが何を」まで押さえましたので、次はそれぞれどんな改革だったのか内容を押さえていきます。
江戸の三大改革&田沼の政治の「内容」の語呂合わせ
徳川吉宗の「享保の改革」
徳川吉宗は、ぜいたくを禁止して、財政を立て直そうとしました。
➊ 上米の制
参勤交代の江戸在住期間を半年に減らす代わりに、大名に米を献上させました。ここから吉宗は米将軍と呼ばれています。
➋ 新田開発
ききんに備え多くの新田を開発しました
➌ サツマイモ栽培
青木昆陽の意見により、ききんに備えサツマイモ栽培を始めました。青木昆陽は入試でもよく出ます
❹ 目安箱
民衆の意見や不満を直接聞くために設けられました
➎ 公事方御定書
裁判の公正と速やかな判決のため、裁判の基準が設けられました
(参考イラスト)「いもけんぴ」は、サツマイモを短冊状に切って、植物油で揚げ砂糖を絡めた昔ながらのお菓子です。
米を効率的に徴収した享保の改革は比較的成功しました。
ただ、西日本での極端な米の不作(享保のききん)やコレラの流行、百姓一揆の増加などで米の価格が一気に跳ね上がり、吉宗は将軍を辞める結果となりました。
田沼意次の政治
農業ではなく商業!ここが他の3人と違います。
田沼は、ききんや百姓一揆が増加したため年貢に頼る政策は無理だと思いました。
そこで目をつけたのが商業です。
➊ 株仲間の公認
商工業者の同業組合を積極的に認めて、営業税を納めさせました
➋ 長崎貿易の推奨
俵物を輸出するなど拡大を図りました
➌ 印旛沼(千葉県)、手賀沼(千葉県)の干拓
結果、わいろが横行して政治が乱れました。
そして、浅間山(長野県)の噴火で東日本の農作物は壊滅し、深刻なききん(天明のききん)へと突入してあえなく失脚します。
松平定信の「寛政の改革」
田沼のわいろ政治と天明のききんによる混乱の中で登場したのが老中の松平定信です。
松平定信は、祖父の徳川吉宗をリスペクト。
そのため、享保の改革と同じようにぜいだくを禁止して、財政を立て直そうとしました。
➊ 囲米の制
ききんに備えて各地に米をたくわえさせました 注)享保の改革の上米の制と間違えない
➋ 棄捐令
旗本・御家人の借金を帳消しにしました ⇒経済が混乱
➌ 寛政異学の禁
昌平坂学問所を設立し、朱子学以外の学問を禁止しました
未完成な改革だったとイメージしよう!
入試でよく出る歌
『白河の 清きに魚も すみかねて もとのにごりの 田沼恋しき』
「松平定信の(白河の)寛政の改革があまりにも真面目で厳しく(清きに)、人々はやりにくい(魚もすみかねて)田沼意次のわいろがあった時代の方が(もとのにごりの田沼)良かったなあ(恋しき)」
水野忠邦の「天保の改革」
天保の大ききんや大塩平八郎の乱などの幕府体制の混乱を立て直すため出てきたのが水野忠邦です。
➊ 人返しの法
強制的に江戸から帰村させ、農村の再建に尽力させました
➋ 株仲間の解散
自由競争を奨励しました
➌ 上知令
江戸・大阪周辺の約50万石の地を直轄領にしようとしました
水野の改革は大名や旗本に反対され、テンポよく2年余りで失脚することになります。
江戸の改革と狂歌についても押さえておこう
【2023 淑徳与野中学校】
「天保の改革を風刺した狂歌はどれか。」という問題が出ました。
江戸の改革の問題は、改革の内容と人物を選択させる問題が定番です。
淑徳与野中のように、狂歌の内容と人物を選ばせる問題は受験生の知識に差が出そうです。
「白河の 清きに魚の すみかねて もとの濁りの 田沼恋しき」
必ず塾で習う狂歌(松平定信)。
わいろで失脚した田沼意次に代わって意気揚々と登場した松平定信。
あまりにも真面目で厳しすぎたため、こんな白河(松平定信)の時代より、ワイロとかちょっと汚いこともあった田沼の方がよかったなーと、一般庶民の正直さが出ています。
この狂歌は有名ですね。
「上げ米と いえ上げ米は 気に入らず 金納ならば しじゅうくろうぞ」
単語から推測できる狂歌(徳川吉宗)。
上げ米といえば吉宗。それだけで分かります。
上げ米の制度は、参勤交代の江戸滞在期間を1年から半年に減免する代わりに、米を上納させた制度です。
米のかわりに現金(49両/1万石につき)での上納もOKだったので、「始終苦労(49両)」とかけて皮肉った狂歌ですね。ゴロ合わせみたいな感じ。
「浅間しや 富士より高き 米相場 火のふる江戸に 砂のふるとは」
知らない子もいる狂歌(田沼意次)。
田沼は、農業ではなく商業に着目して株仲間を積極的に公認し営業税をとっていました。
結果、米相場などの物価が高騰して庶民の会計は「火の車」に。
さらに浅間山が噴火して、江戸には火山灰も降りました。
浅間山の噴火が田沼の政治の時代というのを知らないと解けません。
「白河の 岸打つ波に 引き換えて 浜松風の 音の激しさ」
一番間違えそうな狂歌(水野忠邦)。難しい。
「白河の~」というフレーズで松平定信としそうです。
水野忠邦も、享保の改革や寛政の改革にならって質素倹約を重視しました。
ただ、浜松藩主の水野の政治は、松平以上に倹約が厳しくわずか2年あまりで失敗しました。
その水野を皮肉った歌ですね。
この歌自体は中学受験レベルを超えているので、消去法でここにたどりつくのが最適解でしょうか。
「田や沼や よごれた御世を 改めて 清く澄ませよ 白河の水」
田沼意次はどちらかというこっちの方が有名です。
今の政治は田や沼のように汚れてしまった。白河藩主の定信さん、早くこの汚れた政治を白河のように清く澄ましておくれ。
確認しておきましょう♪
【まとめ】江戸の三大改革&田沼の政治の語呂合わせ
年号 | 1716年 | 1772年 | 1787年 | 1841年 |
改革 | 享保の改革 | 田沼の政治 | 寛政の改革 | 天保の改革 |
人物 | 徳川吉宗(8代将軍) | 田沼意次(老中) | 松平定信(老中) | 水野忠邦(老中) |
語呂 | 美男ヒーロー 良し今日も | 非難名に負い 田や沼に | 非難はなはだ 未完成 | いやよいテンポ 水の音 |
方針 | ぜいたくを禁止 | 商業をさかん | ぜいたくを禁止 | ぜいたくを禁止 |
政策 | 公事方御定書 目安箱 サツマイモ栽培 上米の制 新田開発 | 長崎貿易の推奨 印旛沼などの干拓 株仲間の結成 | 寛政異学の禁 棄捐令 囲米 | 人返しの法 株仲間の解散 上知令 |
語呂 | 今日は9時を目安に いも揚げた | 田沼の先に いばった仲間 | 未完の改革 禁止は聞くか | 水野のテンポ 一株上げず |
結果 | 幕府の財政は一時的に立ち直った | わいろが横行し、政治が乱れた | 厳しすぎる改革で人々の反感を買い失敗 | 庶民だけでなく、大名や旗本からも反感を買い失敗 |
これで中学受験における江戸の三大改革と田沼の政治はばっちりだと思います。
後は、これに新井白石の正徳の治(1709年)もひっかけで入試には出題されますので復習しておきましょう。
今回は以上となります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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